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コルドバ〜グラナダ間はバスで移動。バスは、白壁の家が丘を埋めるように建ち並ぶ村々を経由して行く。南に下るにつれ、丘の緑がまばらになり地肌の土があらわになってくる。3時間弱でグラナダのバスターミナルに到着。 予想以上にグラナダは都会だった。グラナダ大学には各国から学生が集まるようだ。当然、旅行者も多い。ついでに、ヒッピーも多い。それも犬を連れたヒッピーが。 大学近くを歩いていると、ちょうど午後の講義が始まろうとしていたのか、学生たちが早足で通り過ぎ、建物の入口に吸い込まれていく。全体に幼い感じの日本の学生とちがい、落ち着いた風貌、雰囲気。 学生の頃、私は世の中のことなんて何もわからなくて(今でも疎いが)、将来何かをなして生きていくなんてこと全く頭になく、ただ楽な方に傾いてここまで道を選んできた。今の力なら少しは考えながら勉強もできるのに。といって今から大学で勉強して、それは何に結び付くのか?それより実践的に仕事をすることを私の勉強にした方が有益なんではないのか?とか考えながら、快活な学生たちの後ろを私はとぼとぼと歩いている。 アルハンブラ宮殿に通じる坂道の途中で脇にそれ、斜面に家々が密集する細い路地を行く。石段、坂道を当てずっぽうにだらだら上がって行くと、不意に視界が開けた。その先は下り坂で、青空の下、平坦な地にグラナダの市街がゆるやかに広がっているのが見渡せる。 そのとき、頭上から、スパニッシュギターの乾いた音色が聞こえてきた。どことなく哀愁を帯びた優しいメロディーが澄んだ空に響いている。すぐ右側の家の屋上テラスで奏でられているらしかった。この時この場所に立った私のためにわざわざ弾いてくれたのかと思うぐらい感動的な偶然。 やがて演奏が終わり一瞬の静寂、そして見えないギター奏者に対して、見えない聴衆の拍手が起こった。私もひそかに小さく拍手を送り、その場を去った。 丘を下り、人気のない通りをしばらく歩くと、賑やかな広場に出た。プエルタ・レアル広場では小さなスケートリンクが設けられていて、子どもたちが歓声を上げている。それを見守る親たちや通りすがりに眺めていく大人たちの、暖かいまなざしが印象的だった。 宿の近くの広場に面したバルでボカディージョ(バケットのサンドイッチ)を食べていると、バルの親父が話しかけてくる。休憩に入った彼、私の隣でワインを飲みながら昼食をとり始める。陽気な親父で、一人で食べてる私に何かと話しかけてくる。今は仕事中だから明日の晩またおいで、一緒に飲もうと言う。行ってみてもいいかなとも思ったけど、やっぱり行かなかった。 #
by achici
| 2006-04-14 23:46
| 旅
その日の素敵な昼食のあと、至福の気分でメスキータ入場。庭園ではオレンジがたわわに実っているのに、雪が積もっていて変な取り合わせだ。 コルドバがイスラム教徒の王朝の都だった8世紀に、モスクとして建設されたのがメスキータ。13世紀にコルドバをキリスト教徒が奪還してからはカトリックの教会になり、それから増築・拡張が繰り返された末、今の巨大な姿になった。 中は暗い。アラブ世界独特の透かし彫りの飾り窓が影になってその模様を強調している。照明にぼうっと照らし出された赤白の縞のアーチ、列柱がどこまでも整然と続いていて気が遠くなりそうだ。 中央には大きな祭壇が壮麗な姿でそびえている。列柱アーチの一番外側に一つ一つ礼拝所があって教会内を取り囲んでいる。オリジナル部分の正面奥、扉の真正面の位置に、ミフラーブがあった(写真)。メッカの方向を示す壁面の窪みで、イスラム教徒はそこに向かって祈りを捧げる。窪みは丸いアーチで囲まれ、草花の装飾模様がとても優雅。 イスラムの美的感覚とカトリックの宗教感覚とが混在している。あらゆる柱という柱に掲げられている聖人の像やら聖書にまつわる絵やら、カトリックってなんと仰々しいのだろうかと思ってしまった。 イスラム統治時代、キリスト教徒もユダヤ教徒も信仰は認められていて、三つの宗教が共存していたそうだ。それがキリスト教統治下になり、イスラム教徒、ユダヤ教徒は追放されるはめになった。結果的に、それが後のスペインの発展を遅らせる一因にもなったようだが、メスキータの中の壮麗さは、キリスト教の宗教世界をイスラムに対して、これ見よがしに誇示しているようにも思えてくる。 メスキータの周辺、旧市街は白壁の家並が続き、細い路地が迷路のように入り組んでいる。鉄柵の門の中をのぞくと、どの家にもあざやかなモザイクタイルの階段や、花壇や植木鉢を置いた可愛いパティオが見える。 今は何もない季節だが、春になるとそれらの家々は色とりどりの花で飾られるだろう。5月にはパティオの美しさを競い合って見せる祭りもあるそうな。 さぞかしきれいだろうなあ、とコルドバの明るい春を想像しながら、曇り空の下、身にしみる冬の寒さの中をさまよい歩くのだった。いや、ほんと寒かった。 #
by achici
| 2006-04-14 00:12
| 旅
マドリッドからコルドバまではAVE(高速鉄道)で。走り始めてしばらくすると、食事が配られてびっくりした。そこで初めて、勘違いで1等の切符を買ってしまったことに気づいたまぬけな私。どうりで高かったはずだ、座席もゆったりしてるはずだ。 そのうちに、列車の外は一面雪景色になる。線路にかぶった雪を高速の列車がびゅうびゅう吹き飛ばしてゆくのが見える。山を越えるとまた赤茶けた山肌があらわになり、粉砂糖のデコレーションのように薄く雪に覆われている。 寒波は、スペインを南下してここアンダルシアにまでやって来たらしい。雪のせいで交通にも影響が出ていたようで、ニュースでも雪の日の各地の様子が伝えられていたけれど、深刻そうな気配はな感じられない。珍しい雪に子どもがはしゃぐのはもちろん、大人も嬉しそうで、コルドバでも雪だるまを載せた車が目の前を通り過ぎていった。 旅の途中、おいしいものにありつけた日はそれだけで幸福になります。この町で、がんばって素敵なレストランに入り、おいしいものを食べました。結局ここで食べたアンダルシアの郷土料理が、私がこの旅で食べたスペイン料理の中でいちばんでした。 まず、一皿目に "Ajo blanco" にんにくの冷製ポタージュ。にんにくでも何もえげつないことはなく、冷たいからむしろさっぱり。皿の底にレーズンバターのようなのが敷いてあり、それを溶かし混ぜると、にんにくの旨味に甘ずっぱさが加わって何とも言えない爽やかでこくのある味が口の中に広がります。一口一口、大切に味わいました。 二皿目、 "Rabo del toro"、 つまり牛の尻尾の煮込みのこと。じゅうぶんに煮込んでとろとろになったお肉に、髄の部分のゼラチン質がふわりとして舌の上でとろけていきます。そうやって一人で黙々と肉を口に運んでいると、食事という行為が不思議に思えてきます。中盤ですでにおなかいっぱいで、空腹を満たすという食事の意味からはもう逸脱しています。それに、誰かと一緒に食べてる訳でもないから、そこは人とのコミュニケーションの場でもない。 その営みはただ、食物の味によって脳のどこかを刺激して、快楽を得ているだけでした。まったく、贅沢なことです。しばらくはこの味を頭の中で反芻して思い出しながら、楽しんで過ごせそうです。 周りの雰囲気なんかも含めてだと思うけど、たとえ一人で食べてても、おいしいものはおいしいのだと言える。 御一人様街道からは出られなさそうですがね! #
by achici
| 2006-04-13 15:38
| 旅
ピカソの大作「ゲルニカ」のあるのがここ、ソフィア王妃芸術センター (Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía) 。現代美術館は、MOMA(モマ、ニューヨーク近代美術館)にならってか略称をつけたがる傾向があるらしい。MACRO(マクロ、ローマ現代美術館)、MACBA(マクバ、バルセロナ現代美術館)、MOT(モット?東京都現代美術館)、MIMOCA(ミモカ、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、…長いわ)などなど。それで、ソフィア王妃芸術センターも通称MNCARS、えーと、なんて読むんでしょうか。
とにかくここには、スペインの芸術家の作品を中心に20世紀美術が広く収集されている。18世紀に建てられた白い建物はもともと病院で、広い中庭に面した四辺の廊下の窓から射し込む陽光が、清浄な雰囲気の館内を明るく照らしている。 館内ガイドツアーの集団が所々にいて、熱心に説明を聞いたり議論したりしていた。子どもたちのグループ鑑賞も多く、幼稚園児たちがミロの絵「カタツムリ、女、花、星」(Caracol, mujer, flor, estrella) の前で座り込んでいる。ガイドの若い女性の「カタツムリはどこにいますか?」という質問に、いっせいに絵のあちこちを指差す子どもたち。 私にもどれがカタツムリなのかよくわからなかったが、ミロの絵については、それはたいしたことでないと思う。絵の中のリズムを楽しめればそれでいい。子どもたちはついでに歌(たぶんカタツムリの歌)もうたっていっそう楽しそう。 349.3×776.6 cmの巨大なキャンバスに描かれた「ゲルニカ」(Guernica)。1937年、フランコ将軍の反乱軍はナチス・ドイツと組んで、抵抗運動激しいバスク地方の小さな町ゲルニカを爆撃、この無差別攻撃によって多くの市民が犠牲となった。ピカソはこの虐殺の惨状を絵に描くことで、爆撃に対する抗議の態度を表し、この事実を広く世界に知らしめようとしたのだ。 巨大な絵は20日あまりで完成、パリ万博に出品された。フランスは当時、スペイン内戦には不干渉=見て見ぬふりの立場をとっていた。 完成作と並んで「ゲルニカ」のために描かれた、いくつもの部分の習作も見ることができる。死んだ赤ん坊を抱いて泣く母親のの激しい表情や、歯をむき出し倒れゆく馬の苦痛の顔つきが、ときにはカラーで生々しく描かれている。 ピカソ自身の怒りや悲しみが筆致にそのまま乗り移った迫力は、完成作をしのぐのではないだろうか。かなりの勢いで仕上げられた大画面から、感情の走りが伝わってくる。多くの観客が長い時間、絵の前で立ちつくしている。 戦後の美術を展示するフロアはガラ空きだった。20世紀美術がもてはやされるのはたいていピカソやミロ止まりで、以後はまあ、マニア向けみたいなものだろうから…。 展示は、世界的な現代アートの文脈の中でスペインを位置づけたものになっている。それを全体にざっと見て回るが、アートの文脈などこの際どうでもよく(というより絡まり合ってて理解不能)、ただ好きな作品を探すのみ。 他の美術館でも見て、この旅で初めて知ったのが、ホルヘ・オテイサ(Jorge Oteiza, 1908-2003)の抽象彫刻。どれも約50cm四方足らずの作品で、幾何学的な造形と空洞部分のつくり方が魅力的。建築的というか各々の作品がなんとなく家みたいだなと思った。帰って調べてみたら、やっぱり建築もやってたようだ。バスクの人で若い頃にはETA(バスク祖国と自由:バスク国独立を掲げる過激派組織)にも所属していたとか。 マドリッドはこの二つの美術館だけのために訪れたようなもの。とにかく犯罪が多くて危険危険と聞かされていたから、まるで魔の巣窟のような街を想像してしまっていたけれど、二つの国立美術館でスペイン王室の存在の大きさを実感、あらためてここは首都なんだなと思った。ソル広場周辺のにぎわいや人通りの多さ、雑然とした感じも、なんだか渋谷みたいだった。 #
by achici
| 2006-04-13 00:14
| 旅
パリのルーヴル、フィレンツェのウフィーツィと並んで、マドリッドのプラド美術館 (Museo Nacional del Prado) は世界最大の美術館の一つ。スペイン王室所有の品を中心に、7000を超える数の芸術品を所蔵し、とりわけ17〜18世紀のスペイン絵画のコレクションの豊富さは他に類を見ない。
スペイン絵画だけでなく、ルネサンス初期からのイタリア、フランス、ドイツの絵画、そして16世紀以降スペイン王家がオランダも支配していたことから、フランドル絵画が充実している。18世紀までの西洋絵画史を見渡すには良い場所だし、また館内のあちこちでキャンバスを立てて名画の模写に励んでいる人がいる。今まで有名無名の多くの画家がそうしてきたように。 1階で16世紀までの作品を見たあと2階へ上がれば、いよいよスペイン絵画の黄金時代。宮廷画家として名を博したディエゴ・ベラスケス (1599-1660) の作品が圧巻。なかでもやっぱり「ラス・メニーナス」(Las meninas) の絵に引き込まれる。 この絵は人物の配置が特徴的。マルゲリータ王女を中心に据え、王女のそばに侍女や宮廷人たち、フェリペ4世の肖像画を描いている最中の画家(ベラスケス)がいて、さらにその奥にある鏡に、肖像画のモデルになっている王夫妻が映り込んでいるという構図になっている。 すぐれた集団肖像画として有名だけれど、忘れてはいけないのが、絵の中の人物の視線の先には、つまり絵のこちら側にはフェリペ4世夫妻がいるということ。 もちろん、この絵は他の誰でもない、絵の依頼主でありマルゲリータ王女の両親であるフェリペ4世夫妻のために描かれたものだ。この絵を見る王と王妃は、絵の外にいるにもかかわらず、画家が絵の中で今しも彼らの肖像を制作中であることから、絵の中に入り込んでもいる。 絵はふつう一方的に、観る人(観賞者)が絵の中を見るものだけれど、ここでは王や王妃が絵を眺めるだけでなく、同時に絵の中から、それも最愛の娘から見つめられているのだ。この絵を初めて見たとき、王夫妻はどんなに感動したことだろうかと想像する。 筆致はそれほど精密ではないのに、画面がリアルなのにも驚かされた。 「ウルカヌスの鍛冶場」(La fragua de Vulcano) では、職人の表情が一瞬を捉えていて、絵に描かれている場面の前後があることを確かに感じさせる。まるで写真のようだと思った。 と、そこへ日本人ツアーの一団がやって来て「ラス・メニーナス」の前でガイドが説明を始めた。その人の言うことには、ベラスケスの絵はフォーカスが絵の中の一点にあって、それ以外たとえば少し後ろにいる人物の顔はボケている。なるほど、確かに。そういう意味で写真的ということなのだ、納得。 あとはもう、何よりもゴヤ。今まで私はフランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)の作品をほとんど見ていなかった。それがくやしいほどに強烈な印象だった。 明るく軽やかなタッチの風俗画や華やかな宮廷の肖像画と比べてみて、とくに最晩年の "黒い絵" (Pintura Negra) といわれる一連の絵画の物凄さ。病から聴力を失い、スペイン独立戦争をへて宮廷からも退いたゴヤが、自分の家の壁に描いたものだという。 悪魔、怪物、巨人、暴力、狂気、侮蔑、不安、恐怖、絶望…、そういったものが暗闇の中でうごめく画面。魂で描くのでなければ、これほどまでに鬼気迫る絵画にはならないだろう。ここには、戦争を題材にした版画やドローイングも多く所蔵されているようだが、見ることができなかった。 晩年のゴヤの境遇に思いを巡らしながら黒い絵の部屋を3周ほどして美術館を出た。 外はもう夕闇が迫っていた。おまけに寒い。中心街プエルタ・デル・ソル近くのカフェに入り、温かいチョコラーテ(どろどろの飲むチョコレート)とチュロスで一息つく。美味しい、でも重い…。素晴らしい絵画で心満たしたあと、さらに満腹になったのだった。 ハサミでばちばち切って出してくれる。 #
by achici
| 2006-04-11 23:36
| 旅
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