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私は沖縄に行ったことがない。
沖縄のうつくしい海も、豊かな自然も風土も文化も、味わったことがない。基地の騒音に悩まされたこともない。 でも、沖縄に住む人、沖縄を好きな人だけでなく、日本に住んでいるすべての人にとってだいじな、気にかけておかなくてはいけない問題だと思うので、私が聴いたことを書く。 大阪バナナホールでの「つづら折りの宴」。平良夏芽さんの話を聴いた。平良さんは、辺野古で阻止行動をつづけている沖縄在住の牧師だ。彼らのしていることは、たんなる「反対運動」ではない。横断幕を掲げ、拳振り上げ「基地建設はんたーい!」と叫んでいても何も止められないからだ。文字通り体を張って、建設計画を阻止し、いまだ杭一本打たせていない。工事車両の前に座り込んで車を入れない。作業に出ようとする船にしがみつく。施設局の作業員に、殴られ蹴られ、必死でしがみついた船べりから指を引きはがされ、海中に投げ出される。自分が傷つき、仲間が傷つく。でも絶対に非暴力を貫く。暴力では、戦争と同じだから。 昨年9月25日、キャンプ・シュワブに入ろうとした車の前に立ちはだかった平良さんは逮捕された。処分保留で釈放された今も、闘いはつづいている。 新しい基地が造られることで、珊瑚やジュゴンの棲む環境が壊されてしまう。住民の長年のコミュニティが分断されてしまう(地理的にもそうだし基地建設賛否によって心のつながりも)。もちろんそういったことも基地を容認できない理由だけれど、平良さんが何より強調するのは、アメリカ軍がここに居ることによって、沖縄が、日本が加害の島になっていることだ。沖縄の基地を出動した軍隊が、アフガニスタンで、イラクで、人間を殺している、そのことが許せないのだ。 イラクで戦闘する米軍が日本から出動しているのはみんな知ってることだろう。何かあったら日本を防衛するという名目のもと、日本は、そして在日米軍基地の大半が存在する沖縄は、アメリカが戦争をする最前線の場所でありつづけている。平和を憲法の理念に戴いておきながら、この60余年そうやってきたのは欺瞞でしかない。(憲法改正のもくろみの先は理念すら崩れ落ちるだろう。) 日本に、戦後など訪れていない。第二次世界大戦後もずっと日本に駐留しつづけているアメリカ軍が、この国土から戦争をしに出かけているかぎりは、私たちは今も戦時下にいるのだ、と平良さんは言った。平良さんは、子どもの頃、ミサイルを満載した戦闘機が朝、基地を飛び立ち、夕方、空になって戻ってくるのを眺めていたという。それらの戦闘機の向かっていた先はベトナム。 中東の、砂漠の中での戦争のため、しばらく灰色に塗られていた戦闘機は、半年ほど前に緑色に塗り替えられたそうだ。このことが示すもの。在日米軍がすでに定めた次の標的は、アジアのどこか。 周辺の脅威から国を守るための軍備が必要だ、ということで昨年10月、PAC3を沖縄に配備した。日本を目がけてきた核ミサイルを迎撃できるという。本土上空で撃ち落とし、国じゅうに放射能を振りまいて一体どうすんの!? 平和とは戦争のない状態を言うのではない。平和は関係概念であり、敵対関係をつくらないことが平和につながる。たとえ相手がこちらを敵とみなそうと、こちらから対話をしかけていくことで衝突は避けられる。そうやって関係を築いていく、そのために外交があるのではないのか。 平良さんは言う。政府や軍関係者がいちばん嫌がるのは、自分たちのような市民運動ではなく、ただ歌や踊りが好きな、ふつうの人たちによる基地反対の「世論」が高まることだ、と。ひとりでも多くの人にこのことを知ってもらい、反対の声が大きくなってゆけば…。 いつでも非力を感じる私が、せめて今できることは、平良さんから聴いた話をつたない言葉で書き留めることぐらい。まだまだ、知らなければいけないことがたくさんありすぎる。 沖縄に、行ってみたい。
by achici
| 2007-01-22 23:07
| 京都でうだうだ
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