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つづけてまた現代アートです。バルセロナ現代美術館(Museu d'Art Contemporani de Barcelona)、リチャード・マイヤー設計の真っ白で真っすぐな建物が美しい。全面ガラスの正面から射し込む光が、なだらかなスロープのある吹き抜け部分を通って、白い壁に陰影を映す様子に、正直いって、常設コレクションよりも目を奪われてしまった。常設コレクションは、カタルーニャはじめ国内外のアーティストによる、1950年代以降の作品から成っている。基本的な現代美術の流れを概観できる品揃えのようだが、とくに個々の作品に細かい解説などが付けられているわけではない。
企画展は「ハーバート・コレクション展」。( "The Annick and Anton Herbert Collection"、ベルギーが本拠。原語読みがわからないので英語にします。読みをご存じの方、教えて下さい。)アルテ・ポーヴェラ、ミニマル・アート、コンセプチュアル・アートの作品を約150点、時系列的に見ていこうというもの。 イタリア・スペインの他の美術館も含め、私がこれらのジャンルの作品をこれほどがっつり観たのは、今回の旅が初めてだった。それでやっと、ミニマリズムやコンセプチュアル・アートを見るときの、私なりの距離感がつかめたような感じ。 主な作家は、ダン・グラハム、マリオ・メルツ、ブルース・ナウマン、河原温、ダニエル・ビュレンなど。1960年代でも、アンディ・ウォーホルやロイ・リキテンシュタインに代表されるアメリカン・ポップアートの、表層的なわかりやすさ(アイ・キャッチにすぐれていて、すぐ目に飛び込んでくる)とは、別軸にある作品群だろう。つまり、わかりにくい。というか「?」で終わってしまう恐れがある。 作品とそれに付けられたタイトルを見ながら、作家が構想して形にしたものの脈絡を考える。その道筋をたどって作家の概念にたどり着いたときに「ほほー、うまいこと考えたな」と脳味噌の一部をくすぐられて、その作品を評価できるのではないかな。それはしかし、コンセプトを明快にした饒舌な作品だろう。そうでなければ、ただ寡黙にモノの存在をより強調しようとする。その場合、モノそのものの色彩、形、雰囲気が、頭ではなく感覚にフィットして「素敵だな、かわいいな、楽しいな」、逆に「きもいな、恐いな、悲しげなな」などと感じられ、心に残る作品になる。 そのなかで、面白かった二つのビデオ作品について。どうも、言葉で語ることに私は引っかかっていたらしい。 一つは、ブルース・ナウマンによる "Good Boy, Bad Boy"。並べて置かれた二つのTVモニターの中でそれぞれ男性と女性が、画面のこちら側にむかって語りかけてくる。"I don't wanna die. You don't wanna die. We don't wanna die. This is the fear of death." というタイプの言葉を、延々と唱えつづけるのだが、2人のの口調と感情の強弱の付け方に引き込まれてしまう。男の方は、煙草ふかしつつ斜に構える感じでちょっと挑発的。ときどき下に目をやりカンペを見てるのが可笑しいが。いっぽう、女は視線を外すことなく、はじめは虚無的に平坦に、しだいに強く訴えかけるような調子になっていく。 もう一つは、ジョン・バルデッサリの "John Baldessari sings Lewitt"。タイトル通りバルデッサリが、ソル・ルウィット(ミニマル・アートを代表する作家)の書いた、アートに関する35個のコメント("Sentences on Conceptual Art")を、誰もが知ってる歌のメロディーに乗せて歌うというもの。何が笑えるって、紙を見ながらアカペラで歌うその歌声が、へなへなで脱力ものだったことだ。 "Conceptual artists are mystics rather than rationalists. They leap to conclusions that logic cannot reach."(コンセプチュアル・アーティストは理性主義者というよりは神秘主義者である。論理が到達できない結論に、彼らは一気にたどり着く。) むしろ、論理的に説明しがたいからこそ、アートとして表現する価値があるのだと思う。 "These sentences comment on art, but are not art."(これらの文はアートについて解説したものであるが、アートではない。) では、それを歌って映像作品にしてしまったバルデッサリのこれは、さて一体どこがどうアートなのだ? これから現代アートを見る課題の一つです。
by achici
| 2006-06-08 00:12
| 旅
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