カテゴリ
タグ
まち(33)
museum(25) アート(25) スペイン(25) 歴史(20) 食(14) チュニジア(13) 読書(12) 映画(12) トルコ(11) イタリア(11) モロッコ(10) 宗教(10) ポルトガル(10) 音楽(7) 京都(6) 沖縄(6) 台湾(5) café(5) 韓国(4) 以前の記事
2009年 02月 2009年 01月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 01月 2007年 11月 2007年 10月 more... 最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
泰雅=タイヤル族は、烏来はじめ台湾北部に暮らす原住民族。この博物館は、烏来一帯の生態環境からタイヤル族の生活と文化までを紹介している。生活道具や工芸品の展示だけでなく、ジオラマや模型、映像を駆使し、家屋、狩猟・農耕の様子や通過儀礼をわかりやすく見せてくれる。織物の体験コーナーもあって、コンパクトだがひじょうに明快な展示。烏来だけでなく台湾各地に、こうした原住民の文化を紹介したり、観光用に見せている施設があるようだ。
台湾というひとつの島に、もとは独自の文化をもった諸民族が暮らしていた。そこに、大陸から漢民族がやって来て中国の文化が広まっていき、さらに日本の植民地となり日本の文化が流入、「野蛮」ときめつけられた固有の風習は禁止され、原住民族の文化が途絶える一端となる。 日本には日本人による日本の文化がある、という。(実際にはアイヌやうちなーの文化があるのだが。)同じように、台湾の文化というときはどうか。台湾は台湾人の国あるいは島なのだけれど、いちばん昔から住んでいる民族は、迫害され山地に追いやられたり、漢民族と同化したりして変容していった。だからこそ原住民族のアイデンティティを取り戻し、固有の文化を保つために、今こうして活発に光が当てられているわけだが、それでも最初にイメージされる台湾は、おもに大陸由来の中華文化にもとづくものだ。原住民族の文化があって、外来中国の文化がある。どちらを特別視することなく、両方が同じ立場で台湾を担っていく方向で進めばよいと思う。 日本も、他の国々同様、いろんな民族のいろんな文化を、長い歴史の間に内に含み混ぜ合い独自のものに変容させながら、国をつくってきた。そんななか日本古来の伝統文化を追い求め、それをことさら誇示することに、いったい意味があるのかと思う。 かつて植民地だった土地で、必死に現地人に対して日本人化・皇民化政策を行った日本人。日本にいると、一国多文化ということについて、他の国とは認識が違うような気がする。必ずしも日本人は日本の文化に属しているのではない、という認識がないようにみえるときがある。いろんな文化に属する人びとが共存して国が成り立っているのが現状であるはずなのだが。 今回、日本に帰ってきたとき、空港の再入国手続のブースに、見慣れない機械を発見。この11月から日本に入国する16歳以上の外国人(特別永住者は除く)の指紋の採取・顔写真の撮影が行われるようになったのだ。この制度改正、アメリカに要求されたのだろうか。なんか、排他的な措置に思えるが。 話がそれた。タイヤル族はかつて、首狩りの風習を持っていた。祖霊崇拝を重んじていたかれらにとって、首を祖先の霊に捧げることは、霊力を強め、祖霊からの加護を受けるために欠かせないものだった。禁止され現在は行われていないが、展示解説パネルは問う。部族間でのこうした行為と、現代の戦争における無差別・大量な殺戮行為と、いったいどちらが残酷なのかと。 漢民族が入植する過程で、どれだけの原住民殺害が行われたか(老人たちの話の伝えるところによると、死体は解体されて牛や豚と一緒に大陸へ売られていったという)、そのような人たちにわれらの伝統文化を批判し、禁止させる資格があるのか、という強い主張が、最後に、そして静かになされていたのが印象深かった。 町のいたるところに、タイヤル族にちなんだ銅像やレリーフが。この人は酋長(と飼い犬?)。 #
by achici
| 2008-01-08 21:53
| 旅
つぎは、台北からバスで1時間半ほどのところにある、烏来(ウーライ)へ。ここも温泉街になっていて、原住民(タイヤル族)の文化にもふれられる小さな町だ。 とりあえず名物になっているトロッコに乗って、烏来瀑布という滝を見に行く。もとは材木運搬用に使われていた軌道を観光用にトロッコ列車を走らせているというもの。10人も乗ったら満員の、列車と言うには小さすぎる車両で、しかもかなりの年代ものに見える。私以外みなカップルだったため、運転席の隣に座らされた。 若い運転手が乗り込んで、いざ出発、とエンジンをかけようとした。ところが、何度やってもうんともすんともいわない。運転手、またあかんわ、という顔をして、乗客を列車から降ろした。後方にあった車両に乗り換えて、ふたたび乗り込み今度は無事出発。運転手はおじいさんに交代、助手席の私に苦笑して何か言ったが、わからないので愛想笑いを返しておく。 トロッコはさっきのおんぼろを押して、途中の車庫まで運びながら進んだ。ガタガタガタガタと、すぐ脇に迫る山肌に沿って進んでいく。斜面の緑のなかを、ほうぼうから水が流れ落ちていくのが見える。見上げると、その親玉みたいな烏来瀑布が前方にあらわれた。たいしてスピードは出ていない、10分ほど走って、小さなトンネルをひょいっとくぐって、はい終点。遊園地や動物園にはこんな乗り物あったなあ、懐かしい感じ。 私は行かなかったが、さらにロープウェイに乗れば、滝のある山の上の方まで行けるらしい。土産物店が並ぶ通りまで歩いて戻り、昼食。 メニューに日本語の説明があったので参考にして、猪肉のスープを選んでみたのだが、出てきたスープには豚足が入っていた。忘れてた、中国語の「猪肉」は日本の豚肉やんか。ささげのような豆が入っててスープは赤いが、沖縄料理のてびち汁みたい。それと、竹筒飯を食べる。どっちもあっさりしていて美味しかった。 川の向こう岸にビーチパラソルがいくつも立っていて、水着の人が集まっている。それは川岸に設けられた露天温泉。しかも無料という。橋を渡って近寄ってみたら、地元民らしき人びとでたいそう賑わっていた。 平台に造られた浴槽だけでなく、岸辺のくぼみにも湯を引き込んであり、おっさんおばさんグループが入浴中。そのまま川のほうに移って泳いでる人がいるので、もしや川の水も温いの?—とためしに水に手を入れてみたら、川の流れはふつうに冷たかった。亜熱帯の冬、気温は20℃ほどあるとはいえ、ちょっと寒々しいぞ。 ふと、橋のほうを見ると、なんと、橋をめざして、なぜか川の流れに逆らって泳いでいる中年の男女の姿が。しかも、女のほうは着衣のまま、両腕に浮き輪のようなものをはめている。二人とも、流されるばかりで全然進んでいないが、ひたすら上流に向かい、黙々と並んで水をかいていた。なんかの修行か…? #
by achici
| 2008-01-06 15:29
| 旅
台湾には温泉がたくさんあるというのは意外だった。それも日本統治時代に発見されたものが多いというから、台湾にやって来た日本人が、外地でもいい湯を求めてあちこち掘り回してたのかもしれない。
台北郊外にある北投温泉は、大正時代末に日本人が開発した温泉地。温泉の泉質は、世界有数の天然ラジウム泉だとか。 町には、当時をほうふつとさせるような瓦屋根の木造家屋が残っていたりする。おじいさんたちが木蔭に群がって、囲碁のような遊びをしている公園、真新しい木造の建築が目をひく図書館(台北市立図書館北投分館)、日本時代に公共浴場だった煉瓦造の建物を使っている北投温泉博物館、などを見ながら、川に沿って坂道を上っていく。めざすのは地熱谷。 だんだんと硫黄のにおいが強くなってきて、柵の向こうを見下ろすと、もうもうと湯気がのぼっている池があった。日本でいうところの「地獄谷」にも私は行ったことがない。池の周りを歩きながら、独特のにおいとか、しっとりとぬくい湯気とひんやりした空気が混じり合う感覚をあじわうのは結構きもちいいものだった。 私は瀧乃湯という公衆浴場に入ってきた。建物は1907年築の日本家屋。入口正面に番台があって、男湯・女湯に分かれているが、そのとき番台には人はおらず、ふと右手を見ると、奥の間で湯上がりのおばさんがくつろいでる。すると、おじさんがのそっと出てきて「90元」と日本語で言った。 のれんをくぐり、靴を脱いで上がると、その先にすぐ浴槽がある。脱衣所はというと、浴槽の奥の壁ぎわに荷物棚がもうけてある。そこへ行くには、浴槽のへりと壁の30センチほどのあいだを荷物を持って通らなければいけないのだった。来た人も去る人も、そこを通るとき、下向きがちに小股で、意味なく遠慮がちなふぜいになるのがなんかおかしい。 ずいぶん歩いたのでのんびり浸かっていたかったのだが、湯が異様に熱くて無理だった。10秒入ってるのがやっとなくらい。しかたなく、湯船のそばに腰かけて、ひたすらかかり湯。それだけでもじゅうぶんあったまった。湯の温度を下げようと、ひとりのおばちゃんがさっきから蛇口をあれこれいじってたおかげか、私がそろそろ出ようかとする頃には、適温になっていた。 数年前から、台湾人のあいだで、日本の温泉がブームになっているという。温泉目当てに日本を訪れる台湾人旅行者もますます増えるだろうが、日本からも台湾まで温泉目的で訪れる人がもっと増えたら面白い。 北投温泉博物館のほぼ目の前に、なんと、能登の和倉温泉の有名ホテル・加賀屋が、目下建設中で驚いた。本格的な日式温泉旅館が、そして、温泉旅行=入浴+料理+旅館でまったり、という本格的な日式の温泉満喫法が、とうとう台湾まで進出してしまうのだなあ。 #
by achici
| 2008-01-04 00:19
| 旅
うかうかしてたら年を越してしまった。ほんとご無沙汰です。さて、年末に台北に行ってきたので、そのことをいくつか。
まずは国立故宮博物院を訪れた。中国四千年の歴史は、学校で習ったきりのうろ覚えの知識だが、年代に沿って広い館内を観ていく。新石器時代、銅器時代から各王朝で花開いた文化が生んだ優れた工芸品の数々が並ぶ。中国というと陶磁器がさぞ幅を利かせていることだろうと思っていたけど、たしかに量は多かったけど、本命は別にあった。 後世どんなに技術が発達しても、最初に位置づけられる「新石器時代」につくられた玉器——翡翠(ヒスイ)製のうつわの美しさにはかなわなかったようなのだ。青銅器の技術が発達しても、各地で陶芸が盛んになっても、古代の玉器を手本にして銅器や陶磁器が作られていたらしい。 それらの玉器は、何千年も前に作られたというのが信じられないほどに、精緻な彫刻がほどこされていた。うす緑色の透明感ある滑らかな表面には、動物や神獣、文字などが一面に刻まれているものも多い。貴重な品だったこうした玉器は、おもに祭祀や儀礼に使われていた。堅く変化を生じない石の「不変」の材質が、物質的にも精神的にも理想とされたのだろう。 なかでも興味深く観たのは、企画展示として行われていた「イスラム玉器」展。北インドで繁栄をきわめたムガル帝国、あのタージ・マハルを建設した皇帝シャー・ジャハンのもとで生産された玉器は、中国古来の玉工芸の技術に、ペルシャやヨーロッパ、中央アジア、インドなどの美意識が融合して出来たものだった。その優美な品々は、小さな宝石を随所に埋め込んだり、花の描き方などは中国風の大胆だったり容赦なく精密だったりするものよりも、可憐で繊細で、心をそそるものがある。 中央アジアに横たわる崑崙山脈一帯が、中国での翡翠(軟玉とよばれるネフライト)の一大産地だった。中央アジアに端を発し、のちにヨーロッパまで領土を拡大したオスマン帝国にも、玉工芸の技術は受け継がれ、イスラム独自の様式ができていった。18世紀に清が西域を征服して、ウイグル族を通じてイスラム様式の玉器は、中国の王朝にとり入れられていく。 しかしこの広い大陸で、民族どうしが群雄割拠して権力を奪い合っていた中国の歴史を考えれば、多様な文化の融合なんて、ただの一例にすぎないだろう。また、たえず行われていた交易は、東西の文化が影響しあう大きな要因になっていたことだし。 つまりは、"中国風" といって私がイメージするものだって、広い中国の長い歴史のどの部分のものを指しているのか、純然としたものがあるのか?と思う。「中国」って何? わからなくなってきた。あまりに展示品が多すぎるせいで頭がおかしくなったらしい。 ちなみに、博物館の展示品でいちばん見ものとされているのが、清の時代につくられた、翡翠製の白菜と豚肉。そのふたつの前は何重もの人垣ができていた。群れが去った隙を狙って見ることはできたけれども、石でこれだけのものを再現する技巧はおそろしくすぐれたものだと思うが、それだけ。有名人の蝋人形を見るのとそう変わらんと思った。 収蔵品をモチーフにしたゴミ箱。博物館をユニークにするには、重要なディテールだと思う。 #
by achici
| 2008-01-03 01:58
| 旅
チュニジアのハルヴァにつづいて、トルコのハルヴァも買ってみました。トルコ語ではヘルヴァと言うようです。これはカカオ味。写真じゃよくわかりませんが、チュニジアで買ったものにくらべると、油けが少なくてもっとサクサク感が強い。店では、直径50cmぐらいの円形のハルヴァの量り売りも見かけました。
職場でくばるトルコみやげの代表は、"ターキッシュ・ディライト" ことロクムじゃないかと思います。和菓子のぎゅうひみたいな食感のお菓子です。 これ、甘いだけで、今まで私はあまりおいしいと思ったことなかったのですが、今回訪れたサフランボルの "Safrantat" というメーカーのロクム、これはおいしかった。他のものより生地がやわらかい感じで、風味がよかったです。サフランボルはロクムが名産品らしく、ロクム屋さんがあちこちにありました。 それから、"Ülker" というお菓子メーカー(おそらく日本における "明治" とか "グリコ" みたいな存在だと思う)のチョコサンドビスケットを忘れてはいけません。甘さ控えめな丸くて薄いビスケットにチョコクリームが挟んである素朴なお菓子で、これを最初のトルコ旅で、夜行バスで配られて以来のお気に入りだったのですが、いまなお健在で嬉しかった。Ülkerはチョコレートもおすすめです。 トルコ旅行の際にはぜひお試しあれ〜。 #
by achici
| 2007-11-01 23:16
| 旅
|
ファン申請 |
||