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シエナの少し郊外の家に住むKAとMAの家にお世話になり、旅の最後の日々を過ごす。今ではKAとMAは、シエナでの私のお母さん&お父さんのようだ。もともと私は「これが見たい、あれがしたい!」という願望が稀薄なので、私を案内したり泊めたりしてくれる人は、さぞ困るにちがいない。ハイ、反省します。
夕方、ドゥオーモの向かいで「シエナとローマ」という展覧会をやっていて、ポスターに書かれていたラファエロ、カラヴァッジョの名前に惹かれて入ってみる。建国についての伝説の中で、シエナはローマと兄弟なのだ。その深いかかわりを絵画などの作品から見てみようというもの。2人の巨匠の絵は、見逃してしまいそうなぐらい少しだけ展示されていた。 帰り道、KAと別れて日の暮れかかった町をひとりで散歩した。何度も何度も通った道はさすがにわかるけれど、なじみのない通りを不意に入ると、まるで全く初めて訪れた町のように思えた。以前、こんなふうに夕方ぶらついていた記憶に重なる気もすれば、あれは夢の中で歩いていた道のような感じもする。 7年の間に、MAたちの会社は順調に大きくなっていて、今では著名な建築家と仕事をしていたりするけれども、会社の雰囲気はあまり変わっていない。コンピュータの台数が大幅に、そして働く人数が少し増えたけれど、やっぱりいろんな人が出入りして、冗談言ったり他愛ないことに夢中になったりしている。ええ、もちろん仕事も真面目にやっておられます。 KAとMAのなじみの店に、みんなでごはんを食べに行った夜、KAの発案で次の日バンニョ・ヴィニョーニに行くことに決まった。はじめは少人数のはずだったのが、結局その場にいた会社関係者みんなで行くことに! 午前中に、この人たちには相当珍しい手際の良さで、ワンボックスカーのレンタルを手配し、総勢9人で、この会社始まって以来の(?)社員旅行もとい遠足みたいなことになったのだった。 バンニョ・ヴィニョーニは入浴好きなローマ人の時代以前に、この地方にいたエトルリア人が発見した温泉。今でも、入浴できるところがあるらしい。古代の遺構など見たあと、暑くもなく寒くもない絶好のお天気、雲一つない青空の下でランチ。ちょうど3月8日「女性の日」で、女の子たちは上げ膳据え膳。女の子に乾杯なのだ。つづいて向かうはピエンツァ。ドゥオーモには、建物を真っ二つにしてしまいそうなひびが走っていて痛々しい。バールに入り、ジェラートとカフェでまったりしたあと、ワインを求めてモンテプルチャーノへ。 丘のふもとにぽつんと建つサン・ビアージョ教会は、糸杉の木立と芝生に囲まれていて、のどかで穏やかなたたずまいがとても良いのだ。その芝生で、どこまでも元気で陽気な大人たち、近くで遊んでいた子ども連れの家族からボールを借りて、サッカーを始めた。白熱するうち、わわ、教会の壁に向かってPKごっこをしている。あの、ボールそろそろ…という雰囲気を漂わせて、家族が遠くからじっと見ているが、夢中になった彼ら、気づかない。 ワインを飲んで、日が暮れたトスカーナの道を一路シエナへ戻る。運転ははじめからおわりまで、MAだった。ごくろうさんでした。後部席からあーだこーだとうるさい仲間の声を背負い、"バッボ"(パパ)と呼ばれていた。 家に帰ってから、わざわざ会いに来てくれた旧知のMNとともに夕食。その日の料理はMAが担当。イタリア人には、喋り疲れるということはありえないのだと思う。MAは相当疲れていたと思うのだが、夜更けまでMAとMNの議論は続き、「明日は仕事だからそろそろ帰る」とMNが言った尻からまた何かの話を始め、それからまた1時間ぐらい喋ってMNは帰っていった。 翌朝ローマに向け出発する私のため、がんばって早起きしてくれた2人に見送られ、慌ただしくバスに乗り込んだ。ありがとう、また来るね。 今度来るときは、シエナの、それから私たちの何がどう変わっているのかな。
by achici
| 2006-06-18 00:09
| 旅
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