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スペイン北部に来て、国土の広さと地形の厳しさを実感させられた。サンティアゴ・デ・コンポステーラのあるガリシア地方からアストゥリアス地方、そしてバスク地方へ。バスは山をいくつも越えて行く。
いったい標高何メートルぐらいあるのだろうか。幹線道路はずいぶん高い位置を通っているようだった。山と山とを高げたの橋がつないでいて、前後左右にそびえる緑豊かな山々と、橋から見下ろせる青々とした谷がダイナミック。雪を冠ったさらに高い山が遠方に頭を覗かせている。 後ろの席に幼い男の子と母親が座っていた。男の子はお利口さんだった。道中ずっとごきげんで、覚えたての言葉で一所懸命喋っている。大きな橋を通りかかったとき、お母さんが「ミラ! プエンテ、プエンテ(ごらん、橋、橋よ)」と言うのを、男の子は「クエンテ!クエンテ!」と繰り返すので、「ノー、プエンテ!」と正すお母さん。日本語にしたら「はし」を「あし」と間違うようなものかしら。そうやって子どもは言葉を覚えていくのだね。 途中、オヴィエドで1泊。郊外に、ロマネスクの素朴な教会がちらほら残っていてそれらは世界遺産に指定されているが、町じたいにとりたてて見所はない様子。中世にはアストゥリアス王国の首都として栄え、おそらく前世紀初頭までは古都の風情を漂わせていたのかもしれない。1934年の鉱山労働者の蜂起、それにつづく1936年の内戦時の戦闘で、この町は破壊されてしまったという。 それでもカテドラル周辺は、昔の商業地のたたずまいが感じられる。新しい市街は、スペインの他の都市と同様にほどほどに活気があり、夕方になると多くの人が街に繰り出してくる。 翌日またバスにて出発。想像を絶する風景の中をバスは走っていた。人間の許容サイズをはるかに超えた、バカでかい山が海に突き出てそびえている。斜めに断層が走っていて、隆起して出来たのがわかる。その山並、カンタブリカ山脈に沿って走るバスは、小さなアリみたいなものだ。 何千年も前から山々は、同じ状態でそこに在るのだ。その地にいつからか人間が現れて、風雨からの隠れ場として、山に穿たれた洞窟を住みかとし、岩壁に祈りをこめた絵を描いた。後世の人間が発見したその痕跡、アルタミラの遺跡の辺りを通ったときは、うたた寝しており思いをめぐらす余地もなかったが。とにかく、壮大な景色に、長い長い歴史を重ね合わせて想像してみるといっそう感動する。 オヴィエドから約3時間半、山ばかりの景色から徐々に周囲が開けてき、川に沿って近代的な建物群が見えてくる。ビルバオ到着。 寝起きの目に飛び込んできたのは、"J" "K" "Z" がやけに目立つ、スペイン語らしからぬ字面の貼り紙。一瞬寝ぼけて、ドイツかどこかゲルマン系の国に急に来たかと錯覚した。これがバスク語というものか! スペイン語とは全く違うというのは聞いてたけれど。それ以外にバスクについて私が持っていた予備知識は、美食(会員制の美食クラブがあるとか)、バスク帽(男たちのかぶる黒いベレー)、ETA(バスク祖国と自由、言わずと知れた組織)そんなぐらい。 たった3日ビルバオという町に滞在しただけだから、バスクがどうだったとは言えない。それより、ビルバオという町に感じた、これまで通って得てきたスペインの印象との違いが気になった。クラスに1人はいるような、けして中心的存在ではないけれど、自分なりのセンスと趣味嗜好を持っていて一目置かれている女子、そんな感じ。
by achici
| 2006-05-30 00:00
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